M.K.kreの日常と襲撃

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「死」とは一体どういったことなのか 〜「DEATH」を読んで〜

みなさんこんにちは!M.K.kreです!

 

最近めっきり涼しくなりましたね。こうも目まぐるしく季節が変わっていくと、気がついたら何十回目かの夏をを終えて死んでいた、なんてことにならないか心配になってしまいます。

 

さて、今回私が読んだ本はイェール大学で教鞭を執るシェリー・ケーガン著の「DEATH」です。ですです。

 

本書は名前の通り、哲学的なアプローチで「死」という謎を解き明かしていく、といったものになっています。

 

みなさんは「死」について考えた事があるでしょうか?考えただけでゾッとしてしまいそうですが、本の内容や、自分が感じたことについて、一部ですが紹介したいと思います!

 

人間とはただの物体でしかない?

「死」というテーマについて考えるとき、多くの人がまず思いつくのが、「」「天国」といったものかと思います。

 

著者のシェリー・ケーガン氏(以後シェリー先生)はこのような神秘的で、不確実なものを本書の数ページ目で完全に否定してします。少なくとも、シェリー先生はそう考えており、そして、これらのことを読者に納得してもらう事が本書の目標であり、狙いだとも述べています。

 

つまり、人間とは、様々なこと(人を愛す、未来のことを考えて一喜一憂する、数学の問題を解くといったこと)ができる「機能」を持ち合わせた物体でしかないとしているのです。(ただし、もちろん、他の全ての物体とは異なる特別な物体であるとしています)

 

「死」の定義とは

ひとまず、人間はただの物体であり、死んだら天国や地獄などに向かうわけでもなく、存在しなくなり、文字通り「一巻の終わり」であるということを、受け入れるとしましょう。

 

では、その「一巻の終わり」である死とは、どういったことを指すのでしょうか?

 

ある男性、田中さんが小腹が空いて、夜中にコンビニへ向かうとします。しかし、運悪く、たまたまコンビニまでの道のりで交通事故に遭い、命を落としました。即死です。

 

この場合、即死ですので、事故に遭ったその瞬間がまさに「一巻の終わり」と言えるでしょう。

 

では、同じく田中さんがコンビニへ向かう途中で、交通事故に遭ったとします。ですが、今回は即死は免れました。奇跡的に命を落とさずにすんだのです!

 

しかし、悲しいかな、事故の衝撃で「脳」は機能を失いました。脳死です。

呼吸はしています。心臓も止まっていません。しかし、田中さんはもう二度と人を愛すことはできません。映画を観ることも、子供のことで悩むこともできなくなったのです...。

 

そうして数ヶ月後、田中さんの心臓は止まり、ついに身体にも死が訪れました。

 

さて、このケースの場合、田中さんは「いつ」死んだのでしょうか?「脳」が死んだときか?はたまた「身体」が死んだときか?

 

もちろん、通常は脳も身体もほぼ同時に死んでしまうので、このようなケースは非常に稀です。しかし、「死」の謎に迫るなら、「死」の明確な定義付けは避けては通れません。

 

私は、「身体」が死んだときが「死」が訪れた瞬間だと思います。

そして「脳」が死んだときが、「田中さん」が存在しなくなった瞬間だと思います。

 

つまり「死」と「無存在」 はイコールではなく、死の中に無存在が含まれているのだと私は思います。

 

皆さんはどうお考えになるでしょうか?「脳」か「身体」か、どちらが「死」の瞬間なのでしょうか?

 

このように本書は「死」にまつわる様々な疑問や誤解に迫り、そしてシェリー先生の見解を哲学の観点から述べています。ex) 死はなぜ悪いのか?不死とは良いことなのか?

 

残念ながら、人類が誕生してから現在に至るまで、死を免れた者はただ一人としていないようです。人は必ず死にます。

 

だからこそ、すべての人に待ち受けている「死」について考えることは、一考に値すると思います。

 

分厚く、一度読んだだけではなかなか理解できないことも(私もまだまだ理解できていない部分も多いです)ありますが、この記事を読んで興味が湧いた方はぜひ手にとってもらいたい一冊です!

 

では最後に、私の好きな本書の一文を紹介してお別れしたいと思います!

 

「身体が作動し、それから壊れる。死とは、ただそれだけのことなのだ。」(Shelly Kagan著  DEATH   イェール大学で23年間連続の人気講義「死」とは何か)

 

お読みいただきありがとうございました!